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土曜日にクラス会で久しぶりに横浜にいって、4年前に母が亡くなるまでは東京にいる限り週末は両親のいる横浜にいって一緒に夕食をしたこと、クラス会で参加した人の話を聞いていたら、両親の介護があって外になかなか出られないという話がかなり出てきたこと、また私が半年に一度自宅でやっているLadies Night東京版でも、家族の介護があるので来られないという話が増えてきていることから、この高齢化や介護の問題をとても身近に感じる数日でした。
img_1626-1昨日(日曜日)は、週末いつも父と一緒に夕食をすることにしているので、父のシニア・レジデンスにいったのですが、父は94歳なのでやはりいろいろなことがわからなくなってきたり、同じことを何度も聞いてきたりすることが増えて来ました。週末に行くだけなので、「さっき聞いた」などとあまりいわずに(時々カメラを買う!といいだす時は、「何度もいっているけど」といってしまいますが)ふんふんと聞いたり、答えたりしている余裕?があるのですが、一緒に住んでいて、毎日このパターンだったら大変だろうなあ、と想像していました。
私の母は、亡くなる前の3年間?くらいは、父と二人で50年くらい住んだ家で、父が近くの主治医の先生のチームとすべて介護をしていました。父はそれまではあまりやったことがないのにもかかわらず、洗濯も料理も含めて(掃除は私がそうしたサービスを頼んでいましたが)、母のことを何でもやってくれていました。一度も文句をいったことはないし、恩着せがましいこともいったことがありません。週末ごとに私が行き、夕食を3人で食べながら、私がやっている活動を話すのを二人でよく聞いてくれました。父は私が帰る時にバスの停留所まで必ず送ってきてくれたので、その時に父の様子を聞いたり、心配事を聞いたりしていただけでした。でもいま考えてみると、父はずいぶん大変だったのではないかな、と思います。母を一人でおいておけないので買い物も急いで行く」といっていたことを思い出します。
こんな話を思い出すと、友人が介護をしているので外へなかなか出られないという話がよくわかるので、自宅で介護するのは(特に私も団塊の世代ですから、その家族というと80代以上です)とても難しいし、フルタイムの決まった時間という仕事はとても無理だろうと実感します。介護のために退職するのも他に手立てがないことが多いのではないか、と思います。

私は、今世界経済フォーラムのGlobal Futures CouncilでAdvancing Care Economyというサブ・グループに入っているので、特にこうしたことに関心が向くようです。高齢化が進む中、ケアが必要な人は今後どんどん増えるので、介護だけの問題を考えているのではなかなか解決になりません。また介護やケアの実態につぃても、この分野でビジネスをしている友人に聞くと、一般にいわれている話と事実がかなり違うことに気がつくことも多いです。そこで、一般にいわれていることだけを情報源にするのではなく、実際の経験や現場の様子をもう少し知らなくてはならないと痛感します。

外へ出られないという人には、ネットによって外の世界と常にコンタクトが持てるように、仕事の仕方もスマホなどを用いて、どこからでもいつでもできるように柔軟性をもたせたり、いろいろな方法を考えねばと思います。これだけ世界が変化しているのに、無意識のうちに、自分の周りでは固定的な考え方ややり方にとらわれてしまうようです。クラス会で「外へ出られなかったのだけどきてみてよかった」といっていた人には、思わず「また来てね」といってしまいました!

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