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今日のKMD Forumで、家族が孤独死をした経験から、高齢者に外に出てきて周囲とコンタクトをもってもらおうというアイデアが出てきました。また、数日前のセミナーの基調講演でも「100年時代の人dad11-26生戦略」を引用して、自分のキャリアやライフ・スタイルは長寿を前提として考える必要があるという話をしました。今晩は、週末の習慣である父との夕食を私のアパートでしたので、高齢化がとても身近に感じられます。

先日英語版ブログには書いたのですが、父(94歳)の住んでいるシニア・レジデンスはとても快適な所で、父も気に入っているのですが、毎週末夕食を一緒にする中で、変化に気がつくこと、そして介護の大変さを垣間見ることが最近多いです。

先日も父と2人の女性の友人と一緒にシニア・レジデンスで夕食をしました。その日は(今晩もですが)、私も気持ちに余裕があり、体調も良かったので、何度も同じことを聞かれたり、現実と違う世界の話になったり、という高齢者(ほとんどが80台以上)との会話もちゃんと聞いたり、話したりすることができました。しかし、数週間前だと思いますが、私も海外出張や締切に追われてプレッシャーがあり、かなり体も疲れている時は、それほど辛抱強く対応ができず、適当な所で帰ってきてしまいました。その時に感じたのは、一緒に暮らしていたら、これはとても耐えられない、仕事は続けられないだろうということです。

毎晩父に電img_1883話するのですが、会うのは週末だけ、それも夕食の時間だけしかコンタクトがなく、とても快適なレジデンスに住んでいて、ケアマネジャーやフロント、スタッフの方々にもよくしていただいているのですが、それでもちゃんと話を聞こうと「心の準備」をしていったり、私のアパートに呼ぶ時は混乱することが多いのでフロントにタクシーを呼んでいただき、私の住所をいってきてもらう、私のマンションでもフロントの方にお願いしておき、車椅子を出し、タクシーで料金を払うことができない場合もあることを知らせておくなど、かなりあちこちで段取りをしておくようになっても、何が起こるかわからないという不安はあります。(一ヶ月くらい間があくと、私のアパートだということを忘れてしまいます)

もちろんお金の問題はあるのですが、家族が自宅で介護するのはほとんど無理ではないか、というのが実感です。父は足が弱っているのでかなり前から、キャリーが必要ですが、混乱してしまい、自分の兄弟や母(私の)が来るはずだ、というようなことや、多くの人が訪ねてきた、などということもかなり増えてきました。まだ私のことはわかるので良いのですが。。。

私は世界経済フォーラムのEducation, Gender and Workという未来委員会のメンバーなのですが、そこでも大きな課題は、世界が長寿化する中で、介護をどう考えるか、何らかの形の市場経済を形成することができるのか、(多くの場合、家族それも女性がインフォーマルに介護をしていることが多く、数字に上がってこないので)そもそも定量的にみるとどんな状況なのか、どんな解決案があるか、などです。まだ状況がはっきりしないこと、それぞれ個別具体的な話が多く、解決案といっても難しいです。

私も実際に94歳の父のこれまで数年の変化を見ていると、想像していたのとかなり違うことも多いですし、サンプルN=1なので、全体にあてはめることはできません。日本は特に高齢化が進んでいるわけですし、私もその一人なので、自分の問題でもあります。(最近、外をジョギングする時に、必ず連絡先を持ち歩くようになりました!ジョギング中に倒れても私が誰だかわからないのです!)

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