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昨日のブログでは、いろいろな所に自らいってみる、自分で触れる、と良いと書きましたが、自分で経験すると、そこからアイデアが広がることがよくあります。そしてこの経験は良いものだけである必要はありません。

たとえば昨晩私がパネルのモデレーターをしたグローバル・ウーマン・リーダーズ・サミット。パネリストの論文や書籍、コラムやウェブサイトなどを見て、いろいろ準備はしていたのですが、なかなかうまくいかなくて途中は悪戦苦闘。終わった後もちょっと呆然!という感じになってしまいました。
パネルのモデレーターは、準備をしても、どこへどう話が進展するかわからない中、どのように流れをつくっていくか、テンポとエネルギーレベルを維持するか、が大切なので、うまくいって終わった後でも何をいったか、どう進んだか、自分でも覚えていないことが多いのです。あまりうまくいかなかったなあ、と自分で思う時は、さらに拍車がかかり、いろいろなことが断片的に思い出されます。あそこでこうすればよかった、とか、あれが?だったなあ、という思いが頭の中に次々浮かんで、それにとらわれてしまうのです。
そういう時に、私はまず寝る(考えても仕方がないからまず休む!)それから心の中にあるごちゃごちゃした感情を脱するために、運動をします。(そうすると幾分心身が掃除されたような気がするのです)(以前はヤケ酒を飲んでいたこともありますが、体力がないとヤケ酒も飲めないので、まず体力!)それから、どうすれば良いかと、将来の話に心を向けるのです。たとえば昨日のパネルからの教訓は、全体として何をしようとしているのか、その中でのパネリストの講演の位置付けやパネリストの活動をもっとはっきりすればよかったと思ったのです。
私は自分の講演でもコースでも全体として何をしようとしているのか、その中で、このセッションはどういう位置付けなのか、という説明をします。(ある期間続くセミナーシリーズやコースの場合は、何度もそれをレビューします) それから質問をしていくわけですが、常に気をつけているのは、So what?—だから私たち(参加者)にとってどうなのか、どういう意味があるのか、そこから何をしたら良いのか、そういうことをするとどうなるのか、というメッセージを引き出すことです。これができると、それぞれのコメントがつながってくる、そして最終的には「あ、そうか!」と具体的に持って帰ることができるtakeaway(という言い方がよくされますが)がはっきりすると思うからです。その流れの中で、自分がやっていること(委員会の活動やセミナー、仕事とか)と結びつけようとします。(単なる自己紹介ではなく)
こう考えてパネリストへのコメントや質問もしようと心がけているのですが、なかなかうまくいかないことも多いです。そうなるとその場で次々いろいろ工夫しなくてはならないので、言葉足らずになってしまったりすることもあります。
たとえば昨晩の事例では、私がやってきた活動(教育、女性、仕事)がパネルの話とどう関連するのかも説明が十分でなく言葉足らずでしたし、最後にご紹介した明日のイベント(ダボス。。)や春から計画しているグローバル・ゼミの位置付け(最後にパネルのコメントとして出た「自分なりの価値感を探す、そのためにはリベラルアーツ、いろいろな経験からくる文化への感度を磨く、など」、もっともなのですが、どちらかというと長期的な話で、明日から何をしたら良いかわからないという疑問に答えて、すぐできることもある、その事例としてあげたかった!)もよく説明できず、単なる宣伝のように受け取られただろうということです。
またこうしたセミナーやサミットの企画についても、全体感、講演の順序、つなぎなど、こうすれば良いのでは(パネルを超えて)と思うことがありました。
次にこうした機会があったらやってみよう!と思うアイデアがいろいろ出てきたことだけでも得るものはあった!と(ちょっと自分を慰めている感はありますが)と思いました。
うまくいったことより失敗の方が学ぶことが多い、失敗を忘れようとするだけではダメ、ということはよくいわれますが、うまくいかなかったことも、振り返って考え、次につなげる機会としては良いと思います。

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