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  昨日、生田にある日本女子大人間社会学部の「現代ビジネス論」というクラスにお招きいただきました。これは以前、ある会議でパネルをご一緒した大沢真知子先生のクラスです。この間、東京女子大でセミナーをしたこと、大沢先生のテーマが「ダイバーシティ」や「ワーク・ライフ・バランス」であること、今週月曜日26日に産官学連携サミットで、とても興味深いパネルのモデレーターをさせていただいたこと、昨日たまたまNewsweekの取材中に興味深い質問を受け、イノベーションやオープン化について、頭が刺激され、いろいろなアイディアがごちゃごちゃしていたことが背景にありました。そこで、「いかに情報通信技術が高度化し、フラット化する世界の潮流の中で、世の中が変わっているか。また、従来権力を持っていた人がその力を失う可能性が高い『革命』が起こっているか」をキーワードにしました。

 そうした所、質問はひとつだけ。何となく、来ていただいた24年生に伝わっていない!反応が全くない!という感じで終り、正直な所、かなりがっかりしていました。

 しかし、その後、クラスの皆さんが感想を書いたリアクション・ペーパーを貸していただき、帰りの電車の中でそれを読んだら、お話したことについて、いろいろなコメントがあり、また質問がいくつか書いてありました。それでちょっとほっとしました。(今日は質問への返事をメールで送りました。) 

 この話には、後日談と教訓が2つあります。ひとつは、私の前の週に同じクラスの講師をした私の若い友人に、「質問がほとんど出なかった」と今日知らせた所、「エー?私の時は質問がたくさん出て、時間がたりないくらいだった。なぜかなあ?」と返事をもらったことです。このクラス自体が質問をあまりしないクラスなのだと私が「勝手に思い込んでいた」ので、前の週には質問がたくさん出たという事実がその仮説を否定したーー質問が出なかったのは、クラスではなく、私が原因だった!――ことにまず愕然とし、実は私のやり方に問題があった!ということを発見したことです。

 それからなぜそうだったのかを考えたのですが、たぶん先週やった私の友人は年齢も若く(学生と年齢が近い)、今まさにホットな人なのに比べ、私は年齢もずっと高い(私はよく、ずっと前の時代の人のことを「化石のような人」と形容しますが、2-4年の大学生から見ると、私が「化石」なのだ!)、また若い大学生から見ると「大学教授である」私と世界がかけ離れているからではないかと思い当たりました。 これは(2つ目の教訓ですが) とても貴重な経験でした。

つまり、自分は若い!と思っていても、物理的年齢はそうでもない、自分は「以前と同じ、いろいろ試してみよう、はずれもたくさんある!」と思っていても、肩書きで考えると私は大学教授なのだ、そして、そういう風に人は見るのだということを痛感したからです。

だからといって、何でもチャレンジしようという「若い」気持ちがなくなるわけではありませんし、そうした姿勢が物理的年齢に比例するわけでもありません。大学教授だから難しいことを言う、偉いというわけではもちろんありませんが、これは、新しい、大きな発見でした。 時々は自分が勝手に思っていること、思い込みを揺るがすような発見や周囲の世界の中で自分がどう見られているかを知るという経験があると良い(もちろんその時はがっくりきますが!)と思います。

 また、聞いている人にRelevantな話にすること、それも最初の5分が鍵だ(面接も同じですが)だということを再認識しました。これは前に書いたソウルでのColin Powellのすばらしいスピーチでも実感したことです。 「わかる」ことと「自分で実践する」ことは全く別!ということを痛感しました。

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  1. 2010年 8月 20日

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