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今日2月23日、昨年11月に85歳で亡くなった小笠原敏晶さんのお別れの会がありました。ご案内をいただいたので、会場に伺ったのですが、写真やコラムなどを拝見したり、友人と話したりする中で、私がどれだけ小笠原さんの影響を受けていたか、思い当たりました。
ちょっと忘れてしまったのですが、きっかけは大前研一さんと小笠原さんが友人だったことからだと思います。私が青山学院にいた時に、小笠原さんを大学院のクラスにお招きしてお話していただいたり、ナイキ・ジャパンのアドバイザリーボードでもご一緒したり、また、初めて社外取締役をしたエーボンについても、小笠原さんが米国?のアドバイザリーボードのメンバーだった(そして私に声をかけてくださった?)のではないか、とあまり定かではないのですが、記憶しています。
ジャパンタイムス・ニフコの本社にも何度か伺ったことがありますし、いろいろな会議などでもお目にかかっていました。
青山のクラスでは、ご自分のビジネスのことを話されたのですが(何と言っても起業家のパイオニアですから!)、マジックテープを海外?で見つけて、それまで安全ピンを使っていた国鉄!の白いカバーをマジックテープに変えたというお話(確かこれは政治家に直接交渉して実現した、と伺ったように記憶しています)や、起業すると「銀行は必要な時に金は貸してくれない!」と仰ったのがとても印象に残っています。(今でもその時の姿が目に浮かぶ位)
とても落ち着いた話し方をされる方なのですが、おっしゃることは刺激的!さすが実践している起業家は違う!と思ったのです。
今日のお別れの会にあった長老の知恵というコラムに「21世紀は個人の能力。。。。国際人を目指せ?」というようなタイトルの記事があって、私が「個人が主役」と考えるようになったのは、小笠原さんの影響も大きかったのではないか、と思い当たりました。みずから自分の思う所を目指し、時代を切り開いてきた方と若い時に遭遇する機会を持つことができたのは、とても幸運だったと思います。私も若い世代にそういう機会を提供したいなあ、と実感するひと時でした。

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