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 もうひとつもう20年,近く前の話ですが、それまではフリーターとしての経験しかなく、初めて会社組織(といっても、外資のプロフェッショナル組織だったので、いわゆる日本企業とはだいぶ違ったと思います)に所属してすぐのことでした。テニスなどのスポーツや音楽など、会社のクラブ(少人数だったので、好きな人が集まってやる程度)などがあったのですが、ゴルフのクラブができました。ゴルフは当時かなり高価で誰でもできるスポーツではなかったのですが、このクラブのメンバーが会社持ちでゴルフをしようという計画を立てました。(私はそのメンバーでなかったので、うわさに聞いたという程度でしたが。) 

 たまたまこうした社内コミュニケーションなどの活動を担当するパートナーと、ゴルフに行こうとする人が話をしている場にいあわせたのですが、そのパートナーがものすごい勢いで怒り始めました。「会社のお金で遊ぼうというのは!」というような感じで、かなりの剣幕で怒っていました。私は何が何だかさっぱりわからず、「これは何が始まったのか?」と呆然としてみていました。そして、私はゴルフもしないので、関係ないという感じで、その時のことはすっかり忘れていたのですが、後になってから、プロフェショナルの組織では自分で遊ぶことは自分でする、会社持ちで何かをするというのは許されないということを言おうとしたのだと思い当たりました。

 私はフリーターだったので、何しろ自分が働かなくてはFEEがもらえない、病気や遅刻などをすると信頼を失って仕事は来ない、食事や遊びは、仕事に関係していないものはすべて自分で決め、自分で支払うのが当たり前だと思っていました。

それから何年もたってから、日本の会社がこうした活動を会社持ちですること、また多くの場合、「お客様の接待」などという名目で会社の支払いになることを社員も期待しているらしい、そしてそういう商慣習がある業界も多数ありそうだということに気がつきました。打ち合わせや下見など明らかに仕事の用事でない限りは、遊ぶことは自分でするのが当たり前だと思うのですが、必ずしもそうでもないらしいと知って、ずっと前にそのパートナーが怒り出したわけがわかったのです。

 プロフェッショナルは個人での仕事であり、自立していなくてはならない、会社組織に丸抱えのようになってはならない、遊びは自分ですべきということをいいたかったのだと思いました。最近は状況が変わり、プロフェッショナル組織でなくても、自分のことは自分で支払うという状況になってきたようですが、最近、またその傾向が逆転しているようにも思われます。仕事は仕事、プライベートはプライベートと割り切ったほうが良いし、すっきりすると思います。 これもプロフェッショナル組織にいたからこう考えるのかもしれません。

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    • 新良
    • 2008年 4月 20日

    Darden School of Businessを2007年に卒業した新良です。
    いつも楽しませていただいています。

    米国企業でも会社企画の懇親イベントがあったりします。ボーリング大会やソフトボール大会、懇親会。この手のものは日本企業の専売特許ではないようです。

    社内の融和・統合を様々な機会を通じて図っておきたいというのは、どこの国の企業のマネージメントでも同じということなんでしょうね。

    石倉さんのプロフェッショナル組織でのゴルフのお話、パートナーが違えばこういう反応だったかも知れません。
    「社員が自主的に企画して、社内融和を図るイベントを持ってきてくれた。ありがたい。」
    社員に喜ばれる企画をタイミングよく提供するのは、意外に難しいものです。パートナーとしては、ゴルフ企画を歓迎して後押しする戦略も理に適っていたかも知れません。

    喜ばれないかも知れないリスクがある企画を自ら立てて会社のお金を投入するのと、歓迎されることが見えている社員発意の企画に会社のお金を投入するのと。社内コミュニケーションの観点からすると評価が変わるように思われたので、コメントしてみました。併せて、プロとして自分で支払う意識を持つ姿勢は、これを機会に学ぼうと思いました。

    追伸:
    チームのパフォーマンスの上げ方はいろいろありますが、石倉さんのお話に出てきたパートナーの方は、
    ①社内コミュニケーションの促進によって会社全体のパフォーマンスを上げていく(1+1が3以上になる)こと
    よりも、
    ②個々人のパフォーマンスを挙げていく(1が2になり、3になる)ことで総和を大きくしていくことに、
    より強い関心あった人なのだろうと、想像します。
    日本で多用される社会人という言葉はどちらかというと①のコンセプトに親和性があり、プロフェッショナルという言葉はどちらかといえば②のコンセプトに親和性があります。日本の企業と企業人の多くが、これらのコンセプトの挟間で悩んで久しいのではないでしょうか。

    • No.51(MBA ’84)
    • 2008年 4月 20日

    米企業でも営業職などでは年に一度リゾート地で家族付きのoff site meetingを行う例は珍しくありませんね。Orland, FLでの会議に家族も社費で同伴して、パパが会議の間に奥さんと子供はDisney Worldで遊ぶ、とかいう具合に。こうして全体の士気を保つ意味で経費が使われたりはしますが、これも業種によりけりでしょう。営業の全国大会などは顔をあわせること自体に意味があるのかもしれません。ヘッジ・ファンドがこんなことしてもリターンの改善には直結しないし、まずないでしょう。投資銀行もしかり。せいぜいChristmas Party程度でしょう。日本企業での社内イベントの相対的頻度の高さは、会社・社員供に長年培われた精神的な依存度から抜けきれないことも関係している気がします。なしでも業務は成り立つかもしれないが、リスクをとって止める決断はできない。程度の差はありますが、そんな気がします。

    • yishikura
    • 2008年 4月 21日

    新良さん、石倉です。コメントありがとうございます。なるほどこういう考え方もあるのか、ととても考えさせられました。大体、自分の経験(特に印象が強かったもの)は、あるメッセージが核になっていることが多いので、それ以外の見方がある、ということを忘れてしまいます。
    追伸の①と②もとても興味深いと思います。こういうことはやはり両方の世界ー国も仕事もーを知らないとわからないのではないかと思いました。

    • Bennie
    • 2008年 4月 21日

    私の勤めている進学塾では、合格のお祝いに生徒と一緒に会食をすることになっています。

    小学部と中学部があるのですが、なぜか、今年は小学部だけで行われました。

    そうしたところ、中学部の生徒が「僕らにも打ち上げしてほしい!」と。

    室長は知らんぷり、非常勤の私が出しゃばってもいいものかと考えているうちに、生徒はちゃっかり私の行きつけのランチ店に集合。

    会社の規則で個人的に生徒と行使間で連絡はできないことになっているのですが、お店のおかみさんが私に電話を下さり、私は生徒の会計をして、彼らを帰らせました。

    なにしろ、塾周辺住民の評判が大事なので、塾の名誉を守るためとはいえ、急に呼び出され、自腹を切るなんてきつかったです。

    社内で、中学部の会食をちゃんと計画しておけばよかったのに…。まぁ、生徒にとっては社内の上下関係がわからないから、私のところへ来たのでしょう。かわいい子たちだから、許す。

    • yishikura
    • 2008年 4月 21日

    No. 51さん、石倉です。コメントありがとうございます。業種や職種によることはもっともですね。個人の力が重要になっている分野でも、まだ組織力に頼るという従来のやり方から抜け出せないこともあるかもしれません。
    同時に、本当に個人だけでできるのかなあという疑問も残ります。
     今日たまたまそれに関連した話をする機会があったのですが、人と人の直接の接触をあまりなくしてしまったために失われるものがだんだんわからなくなっているのかもしれない、と感じました。これはスピードが増し、またICTが発展する中、まだまだ考えるべき、そしていろいろ実験してみるべき課題だと思います。

    • yishikura
    • 2008年 4月 23日

    Bennieさん、ちょっと時間に追われていたので、順序がわからなくなってしまったのですが、コメントありがとうございます。もちろん年代が違いますが、私の場合は、自分のゼミ、クラス、前の卒業生、その他など、いろいろなイベントを企画することがあります。若い人にその友人を紹介してもらったり、同じような仕事や興味のありそうな人をまとめてよんだり、以前一緒に仕事をしてとても良く働いてくれた人たちと会食をしたり、なるべくしたいのですがそれには時間も必要ですね。何事にも限度があるとぃうことでしょう。

    • 新良
    • 2008年 4月 24日

    No.51さん
    石倉さん

    Darden School of Businessを2007年に卒業した新良です。

    No.51さんのコメントにあった「会社・社員供に長年培われた精神的な依存度」に触発されて追加でコメントをさせていただきます。

    私は、日本の会社と社員の家族意識/精神的な依存は、社会のセーフティ・ネットになっているように思うのです。

    梅田望夫さんの「ウェブ時代 5つの定理」のP.184に、Eric Schmidtの発言があります。
    http://www.bunshun.co.jp/umeda_web/umeda_link_teiri04.htm
    ここで彼は人間の基礎的欲求の一つとして、帰属意識(原文:a sense of belonging)を挙げています。当初はこの考えが新鮮で驚いたのですが、これは真理だと最近は感じています。

    アメリカで暮らしていると、彼らの多くが家族の一員であることを頻繁に確認していることが分かります。私からすれば大の大人が、毎日、そんなに何を話すことがあるのかと思うぐらい、離れた家族と電話する光景がよく見られます。ちなみに10歳過ぎまで、子供を家で一人にさせることを州法で禁じることも一般的のようです。日本は家族と過ごす時間も短く、家族でそれぞれの活動を共有する(たとえば子供の習い事に付いていく、親の職場を見学する)ということも限定的です。それぞれがそれぞれの社会での役割を、責任を持って果たすのが、家族に与えられる使命です。こうした環境下では、どうしても家族への帰属意識が希薄になってしまいます。

    またアメリカ人は、市民として社会との関わりに積極的です。寄付金を集めるために開催されるウォーキング・イベントに何万人もの人が参加する光景があります。日本人の私からすると新鮮です。また市民が寄付をすることもありふれた日常です。何らかの形で能動的に社会で共有する問題意識に関わることにより、ここでも何かに属するという、基礎的なニーズが満たされていると見ることができます。翻って日本を見てみると、何か社会構造に問題があったり、経済が停滞すると、決まって政治家と役所が適切に動かないから良くないという論調になります。税金を払って間接的に社会に働きかけるアプローチです。自分の手で自分の意思を直接働きかけていく社会ではありません。こうした環境では、日本人が社会の中で帰属欲求を見たすのは難しい。自分たち自身が作っている街で生きるという実感が乏しいはずです。よく「東京砂漠」という言葉が聞かれますが、これなども社会に自分の居場所がないということを物語る例と言えます。

    それでも日本人が精神的な安寧を保って戦後を乗り越えられてきたのは、企業が個人が所属する場所としての責務を、究極的に果たしてきたからではないでしょうか。子供も企業に属するために勉強しますし、主婦も夫の勤務先を自己紹介の要素からなかなか外しません。所属する先として企業は、日本人にとって重要なのです。企業に所属する意識を精神的な依存と見て、未熟な関係と見てしまうと、とても危険な感じがします。

    企業と個人が自立した関係に向かうのならば、新しい帰属先が多くの人に見つかるよう、同時並行で準備を進めないと、日本は精神不安定な人を構造的に多く抱えざるを得ないのではないかと思います。もしくはトヨタのように終身雇用を再評価する道を進むのも、今の日本には合っているのかも知れません。

    コメントいただければ幸いです。

    • yishikura
    • 2008年 4月 28日

    新良さん、石倉です。とても示唆に富んだコメントありがとうございました。いろいろ考えさせられたので、コメントが遅くなりました。

    基本的な帰属意識をみたす場所としての家族、地域社会、企業など、日本と他の国はだいぶ違うように思います。(他のアジアの国々はどうなのか、とも思いますが)

    災害などの時に、何としても会社へ行こうとする姿勢やまたそれにこたえて企業がすぐ手を打ったというような話は10年くらい前には良く聞いたように記憶しています。こうしたことから見られるように、これまでの日本において企業が果たしてきた役割の大きさとそれが崩壊しつつある状況(今から10年前くらいからその傾向が見えてきたように思いますが)はかなり深刻です。

    家族や地域社会との関係についても、通常から活動をしていないで、突然自分の時間ができたらから、何かしようとしても本当の意味では参加できないと思います。いかに複数の世界に対して帰属意識を持つか、そのやり方を自分なりに学ぶか、などが課題だと思います。

    日本でも団塊世代が大挙してリタイアすることから、従来とはだいぶ違った組織や活動が出てきているようにも見えます。一方、最近は終身雇用を求める若者が多いらしいという状況も見えるので、せっかく自分の生活、個人としての自立、新しい組織への参加などへの兆しが見えたのが、結局はあまり定着していなかったのかとも感じます。

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