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最近、質問やコメントに対する考え方や行動の違いを感じることがあります。For English=> たとえば私が今競争力のコースを教えているICSにおいて、ゲストをおよびしたフォーラムなど(水曜日は日本人3人のゲストでした)をすると、最初にゲストが説明をされた後、質問やコメントが限りなく続きます。

ICSは日本人以外が70%位(日本人以外もほとんどは英語が母国語ではありません)、公用語は英語ですから、英語ですべてするのですが、質問やコメントを持つ人の手が一度にあがり、それをどう交通整理するか、なるべく多くの人に質問してもらうにはどうするか、が課題となります。一人質問は一問だけ、答えてほしい相手を特定する、短く質問する、コメントも簡潔に結論だけを、など、ルールを決めておかないと時間切れになってしまいます。

一方、ほとんどが日本人という場合、(最近は活発なグループもあり、必ずしもすべてではありませんが)、なかなか質問やコメントが出ない(日本語でも)ので、どうやって質問を引き出そうか、聞いている人の反応を知るか、に大きなエネルギーを使います。前もって質問してくれそうな人を探しておいたり、終わるまでに必ずひとつ質問かコメントはしてくださいと頼んでおいたり、まず自分が質問したり、といろいろ試してみます。

核心をついた質問(いっていることを実践していないようだが、なぜか)や、仮定の質問(たとえば、貴方がもう一度こういう試みをするとしたら、やり方を変えるか、組織や体制を変える権限を持つ地位にいたら、何をするか、など)などは、なかなか出てこないことが多いようです。(実際にこうした質問は相手に失礼だと考える人もいるようです)

質問はよほど相手の個人的なことや自分だけの関心であること以外は何でも聞いた方が良いと私は思っているので、この2つのグループでは後者の方が大きなチャレンジになります。

特に前者(誰もが何か質問する)と後者(質問する人がほとんどいない)の間をいったりきたりする場合、自分がすべきことを忘れてしまい、機会をうまく使えないことがあります。後者の場合は、かなり前から、心の準備をして、エネルギー・レベルを高くしておかないと、「場」にエネルギーが不足してしまいます。前者のグループではエネルギーが高すぎてその出口をうまく探さないと、逆に不満が残ってしまうことがあるからです。

子供の時は誰でも、何にでも疑問を持ち、何でも知りたかったのだと思うので、こうした姿勢を持ち続け、誰にでも何でも質問してみるのが良いと思います。疑問は疑問ですし、大体の場合、同じ疑問を持つ人が他にもいるので、質問をするとその人たちにもメリットがあるからです。質問が権威への挑戦のように考えられるのは、要するに「言い方」の問題ではないか、と思います。言い方さえ気をつければ何でも聞いた方が良いのではないでしょうか。意外に基本的な質問が核心をついていることが良くありますから。

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