今日は朝台風のためか、かなりひどい雨でしたが、午前中にそれもやみ、太陽が出たと思って、外へ出たら、これまでにないくらいの暑さでした。遅れそうだったので、サングラスを取りに帰る時間がなく、「これが猛暑?」という感じで、めがくらみそうになる中、自由劇場の「李香蘭」を見に行きました。昨年亡くなった浅利慶太事務所からご招待いただいていたもので、先日あった一周忌のことも聞いていたため、追悼公演のどれかには、予定をつくって行こうと思っていました。

いろいろ他のことをしていたので出遅れてしまい、ちょうど始まって最初の曲が流れている時に席につきました。(あまりに明るい外から劇場にはいったため、何も見えず、周りの方に失礼してしまいましたが。)「李香蘭」は何度か以前も見ているのですが、今回は、だいぶ違った感じを持ちました。最近、世界各地で戦争や対立が起こりつつあるし、昨日のグローバルゼミでたまたま「敵」と協働するにはどうするか、「差別」「違い」をどうとらえるか、などをディスカッションしていたため、「李香蘭」を見ながら、民族や国の対立などについて考えていたからです。今までは、昭和三部作といわれているこの作品を見ると、過去の日本を中心に考えることが多かったのですが、今回は世界で頻発している民族や国の対立と断絶との関連でいろいろ考えさせられました。毎日海外のポッドキャストを聞いていると、紛争やテロ、難民などの話が多く、生まれた時から国が戦争状態にある子供はどうなるのだろう、と考えることが最近多いのです。「李香蘭」の中で、戦争中の生々しい光景が白黒で出てくるのを見て、難民の子供が海岸にうちあげられている姿を思い出してしまいました。いただいた浅利さんの冊子にも出ていましたが、戦争で一番苦労するのは一般の人、それも子供、だから戦いでは、そこまでよく考える必要がある、と思いました。また、同じ作品を見ても捉え方がずいぶん変わる、そこから得る教訓もずいぶん違うものになる、ことを実感しました。