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この間から、新型コロナでいろいろ活動が制限される中、読書はいかが、と私がお勧めする冊紹介してきましたが、このあたりで、もうすぐ出る私たちの本についてもご案内します。先日、これまでの経緯などはお知らせしましたが、当事者意識のことを書くといったままになっていました。そうしているうちに編集者の雨宮百子さんがfacebookにかなり詳しい経緯を書いているので、そちらも見ていただけると良いと思います。私が書いた英語版のブログはこちらです。(内容は本の紹介です)For Eglish=> 

当事者意識の話は、当初共著だと聞いていたので、皆で書くのだな、と思って、私はこのプロジェクトでどんな役割をすれば良いのか、あまり見当がつかず始まったことが発端とも言えます。いろいろイスラエルのことは調べたり、セミナーにいったり、電話会議をしたりしていたのですが、11月のテルアビブ訪問が、その前に招待されていたトルコのカンファレンスとのゴタゴタでギリギリに自費で行くことになったこともあり、正直なところ、プロジェクト全体に何となくもうひとつという感じが続いたのです。

テルアビブでの日々はとても有意義だったし、学ぶこともあったのですが、帰ってきてから、さてどうするか、という時も、まだ私の心の中では、期待されていることがはっきりせず、チームで書くものだ、という感覚が強かったのです。

それでも何とか後半の3章をドラフトして(私がこのプロジェクトで一番いいたかったのは、「イスラエルのスタートアップとの連携から日本が大きく変わるチャンスだし、できるのでは?」ということでした))締切に追われて送ったところ、編集の雨宮さんから、最後の章を書き直してほしい、いわれました。雨宮さんのコメントは、「これは誰でもかけるようなことで、私らしさが全然ない」というものでした。共著なので、私の経験や感じたことは前面に出さず、なるべく客観的に、日本が変わる機会、というメッセージを少し出しただけだったのです。そこで、そのコメントを聞いて、「え!私らしい、自分にユニークなことを書くの?」というのが、私の反応でした。そこから私自身の経験などをかなり加筆したのですが(幾分過激かつ、本当にできるか、ということまで書きすぎて、結局はかなりカットされましたが。。)時間がない中で考えるうち、要するに私に「当事者意識がなかった」ということだな、と思い当たりました。(実は、毎月書いているコラムでも時々、「これは使い物になりません」「テーマごともう一度考えてください」というコメントーそうはっきりいっていないこともありますがーがあり、毎月ドキドキしています。)

私自身がはじめたセミナーやワークショップ・シリーズは(チームの活動なので、必ずしもそれが理想ではないのですが、サポートしてくれるのが仕事を持つ人たちなので)私自身がアレンジしたり、テーマやゲストを探すことも多く、自分しかPRする人がいない、何としても続けるという強い意思があって、できる限りの人に働きかけたり、土壇場でも人集めに奔走したりして(他に主催者がいるセミナーなどの場合は、側面からのサポートくらいですけど)、結局何とかこれをやろうというのは私なのだ、強く意識することが多いのです。(まだ赤字事業ですが)。

また、いろいろなセミナーなどで、「当事者意識があるかが鍵だ」「自分の意思でやっている」「何があろうと、自分が何とかする」という当事者意識が、人生(大げさですが)の意義を決めるといっているのに、イスラエル・プロジェクトでは、その張本人の私に当事者意識がなかったのだ、とわかって、かなりのショックでした。多くの人が周囲が決めた人生やキャリアをそのままたどっているように見える中、自分の人生やストーリーは自分で決めることを強く提唱しているのに、と思ったのです。

自分のことは気がつかないという例は、「『何か変』と思ったら、自分が変だと思わず、そこから問題意識を持つ」と私が提唱しているにもかかわらず、学校で講演をする時に、時々目にする「気をつけ」「起立」。。はおかしいなあ、と思いながら、学校はこんなものか?と思っていた自分が「自分が変」と思ってしまう皆と同じことをやっていることを発見して、愕然としたこととも関係します。(この話は最近ビデオを見た安宅和人さんと落合陽一さんの対談にもありました)

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