この間からブログに書いていますが、日本にいると(というか、日本語圏内だけにいるとの方が良いかもしれません) 情報への感度が研ぎ澄まされなくなってしまうような気がします。情報は自分から取りに行かねばならない、複数の情報源を確保し、ウラをとる、自分で判断するという基本姿勢をともすれば忘れてしまう、おろそかになっているように思われるのです。

最近、福島原発について、「実は。。。。」という話が良く出てきます。震災の次の日からわかっていた(と推測される)ことが今になって「実は。。。」と出てくるのは、どう考えてもおかしいと思います。こうしたことに対して、あきらめの境地になっているようで、怒りの声がそれほど聞こえないように思われる(私の情報源が?なのかもしれませんが)のもさらに??と思うのです。

言論の自由を初めとして、事実を知る自由は自ら獲得するものであり、そうでなければ、表現の自由の尊さも実感できないと思うのですが、最近の状況を見ると、私たちは、事実を知る権利や自由を全く奪われていたのではないか、と感じられます。

この間のワークショップやセミナーでも議論になった「いろいろな情報と情報源を提供してほしい(それを自分で判断するから)」のか、「何らかの『権威』からOne Voiceとして知らせてほしい」のか、という選択肢を思い出します。 どちらかというと後者を希望する人が多いように感じますが、その「権威」が事実を隠していた(動機は何であれ)となると、このアプローチはとても危険なのではないか、と感じます。 これだけ「権威」が事実を隠していた(か意識して知らせなかった)という国にいて大丈夫なのだろうか、という懸念が起こってくるからです。

こんなことを考えていたら、以前聞いた「日本では英語を教えているが、ほとんどの人は何年学んでも使えない、これは英語がわかる人を増やさないための国?の陰謀ではないか」という話を思い出しました。複数の言語を知ることにより、国外から発信される情報に触れることができ、多面的な見方に触れられるからです。

この「陰謀説」がひょっとして本当なのではないか、と思わせられる最近の状況は非常に問題ではないか、と感じるようになってきました。まして、こうした状況に怒りがあまり聞こえない(ように見える)のは、すでに多くの人がこの国の将来を諦めてしまっているからでしょうか。何も行動しないと、自分の生まれた国だからといって、世界での存在感をどんどん失い、衰退してしまう可能性があります。潜在的ポテンシャルは大きいのですから、国の隠れた力をもう一度自分たちの手で探し出し、伸ばすために、何ができるか、私自身、もう一度考えて行動することを心に決めました!