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このブログでも何度か書いていますが、先日、友人と話していて、「完璧さへのあくなき追求」は日本のよい所でもあるが、その呪縛は問題ではないか、という話になりました。完璧さを求めて努力することはよい点でもあるのですが、「完璧」がほとんど実現できない分野や事柄についても完璧を求めると、かえってそれが足かせになり、行動に移せないことがよくあるようです。

こう考えていたら、身近な事例でもいくつか思いついたものがあります。 ひとつは数週間前にあった会議での企業のトップの発言です。その時私自身は、「完璧を。。」というように解釈しなかったのですが、友人に指摘されて、ああそうか!と思いました。そのトップの発言というのは、「企業は要するに世界で最も安い地域でつくり、高く売れる所で販売すればよい」というものでした。このコメント自体、その通りではあるのですが、今の世界を見て、これを実践しようとすると、いろいろな試行錯誤が必要になります。

自社にとって、コストが一番安い所をどうやって探すのか、その地域は経済発展などによってどんどん変わっていくのにどう対応するのか、高く売るといっても地域それぞれのいろいろなセグメントへの対応をどうするのか、など、実践しようとすると、そんなに簡単に教科書通りにはいきません。実際試してみて様子を見る、というアプローチが必要になると思うのですが、あまりそうした姿勢はないように思われました。

もっと簡単な例として、若い人に「あなたの意見は?」「どう思うのか」と聞くと、なかなか答えがかえってこないことが多いです。 これも、「正しい、完璧な」答えがどこかにあり、それと違う意見を言うわけにはいかない、という心理が働くように思われます。(それ以外の理由もあるかもしれませんが。。。) 「xxはこういっていた、OOはこういっていた」という説明ばかりで、自分の意見、ポジションを明確にすることを避けるように見えるのです。またなかなか質問が出ないことも共通しています。「よい質問をしよう」という心理が働くせいか? なかなか質問が出ないのではないでしょうか。質問は、自分の疑問なので、なんでも聞いてみたらよいと思います。道に迷った時、だれかに聞くのと同じことだと思うのです。

もっと簡単な事例でいくと、例えば、事業戦略のディスカッションをする中で、「この企業の株が買えるとしたら買うか、買わないか」という質問をして、どちらかを選ぶように促しても、どちらも選ばない人がかなりいることも多いです。仮定の質問ですし、完璧な答えはないのに、それでもポジションをとることを避けるのではないか、と思われます。

この背景には、答えを重視する初等中等教育や、仮説思考の訓練が不足していること、意見を途中でかえることが許されないような雰囲気があること、多くの人とまったく違う意見がなかなか評価されないことなどがあると思います。これも完璧を求めるひとつの例ではないか、と思いました。

今や世界は多極化、混とんとしており、政治、経済、社会のいずれをとってもどちらの方向に行くのか、定かではありません。変化のスピードも桁違いですし、その影響も依然とはくらべものにならないほど大きいです。国際会議に行くと、いかに「専門家」や各分野の意見が違うか、を目の当たりにします。要するに、みなあまりよくわからない、だけど少しでも解明しよう、より良い解決案を探そうと試行錯誤しているのです。

現在のような世界になってきた背後には情報通信技術の進歩があって、今までの枠組みが通用しなくなってきています。ICTはやってみないとわからない、想像以上の展開を見せることが多いので、前もって完璧な答えを探しておくことはそもそも不可能ともいえます。 世界がこのように変わってきている中で、完璧を求めると、結局手も足もでず、行動に移せないということになるのではないでしょうか。

おりしもシカゴではNATOの会議がありましたが、こちらは違うNATO (No Action, Talk Only)になってしまいそうです。 完璧を求めても不可能な分野があることを心にとめることが大切だと思います。

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コメント

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  • コメント (2)

    • Ashihara
    • 2012年 5月 24日

    すごく考えさせられました。一旦走り出して方向が決まってしまうと、その修正は大変だと思い、より良い答えを探したくなり、でも、答えがでずに結局止まってしまう、ということがここ最近非常に多かったのです。今日からまたいろいろやってみようと思いました。

    • yishikura
    • 2012年 6月 17日

    Ashihara さん、石倉です。コメントありがとうございました。遅くなって申し訳ありません。あまり窮屈に考えると良くない、ということかもしれません。

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