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最近、時間の感覚や時代について感じることがいくつかありました。最近の出来事としては、マサチューセッツ州のJohn Kerry民主党上院議員が 国務長官に任命されたことです。以前、Kerry上院議員が民主党の大統領候補になった時も感じましたが、え!あのJohn Kerry?というのが第一印象でした。

というのは、私がボストンに住んでいた頃(1980年はじめ、今から30年前!)、John Kerry氏は、マサチューセッツ期待の若手政治家だったからです。ベトナムで戦った経験を持つ政治家ということで、かなり注目を浴びていました。(マサチューセッツはケネディ家がとても力を持っているのですが、期待される若手政治家ということで、Kerry氏のことを覚えているのです。)

あのJohn Kerry?というのは、いろいろな意味があるのですが、30年前というと、私が普段接触する大学院の学生は生まれてもいない、という時代だということに気がついたのです。20代の人は、30年前のことを実感として知らないのは当たり前なのですが、それが私自身の感覚と違うことに今更ながら気がついたのです。  これは70代後半の方が戦争中は。。。という話をされる時に、私には「聞いた話」であって、実感が全くないのと似ているのかもしれません。

この間、お寿司が海外で受け入れられなかったのは「ちょっと前」と書いてしまい、すぐに「1990年からカリフォルニアでは当たり前だった」と指摘され、「ちょっと前」と思っているのは私だけなのだ、と思ったことも、時間の感覚、時代認識の違いなのだと思い当ります。

また、最近Tweetか何かに出ていた「団塊の世代は戦後の焼け野原を知っている」というコメントに「そうではない」という指摘があったこともこう考えるひとつのきっかけになっています。今20代の人たちから見ると、団塊の世代はずっと昔の人なので、焼け野原を。。と考えるのかもしれませんが、実は、1947年から49年位に生まれた人たちなので、焼け野原の記憶はないと思われます。

こう考えると、いかに世界が変わりつつあり、時代感覚が違うのか、を痛感します。と同時に、今やまぎれもない事実である世界がつながっている、世界にはすぐ手が届くという感じを、今の若い世代は感覚として持っているだろうと想像するのですが、必ずしもそうでもないのかな、とも不思議な気持ちになります。 まだどう考えて良いのかわからないのですが、最近、ダニエルイノウエ上院議員への追悼式で第二次大戦での勇敢な行動が常に報道されていることも、時代認識や時間の感覚の不思議さを思い出させてくれているのかもしれません。。。。

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